渋谷に行けるようになったんじゃない、PARCOに行けるようになっただけなんだ。
中学から大学まで、6年付き合った彼氏と別れる時、「付き合ってたときに一番うざかったことってなに?」と訊ねた。彼は、「中学時代、渋谷に行くたび、怖い怖いって言ってたのに、大学になってから行けるようになって通ってたこと」と答えた。
2016年、8月7日に、渋谷PARCOが一時休業した。
その前日、ONLY FREE PAPERの代表・松江さんがブログでこんなことを書いていた。
「渋谷怖いけど、ONLY FREE PAPERがパルコにあるから来る(来れる)ようになった 」というようなお客様のお話を聞くこともありました。
まさに、わたしである。
渋谷は怖い。
幼い頃に連れて来られたときは、父がスルスルと人混みを抜けていき、そのあとを慌ただしく動く大量の足を見つめながら、必死に追いかけた。わたしの後ろを歩く母は「あんなに早歩きして…」と不機嫌な声を出す。
「早足ばかりの不機嫌な街」というイメージがこびりついてしまったわたしは、その怖さから中学生になっても渋谷に来るたび、友人の腕を掴んで、「絶対に離れないでね!!!!」と言っていた。
大学生になって、ONLY FREE PAPERという店を知り、ボランティアスタッフをやろうと一人でPARCOに向かったときは、道に迷い、人は多くて、坂は多いし…で、もう帰りたかった。
汗だく・涙目でお店に向かい、「面接のなかはらです…」と囁くと強面の松江さんが出てきて、泣きそうだった。でも、話してみるといい人だったし、「お金は払えないけど、フリーペーパーがたくさん読めます」と言われて、「やりたいです」と返した。
渋谷PARCOでスタッフをしている自分、というのはなかなか誇らしかった。毎日入荷するフリーペーパーを並べるのはもちろん、得意げにスタッフバッジを付け、従業員専用エレベーターに乗り、おしゃれな店員と同じ空間を行き来して、歴史ある建物の裏側にいる。それだけで胸が高鳴った。
客としては、残念ながらPARCOで買い物を楽しんだことはない。でも、劇場とパルコミュージアムには大変お世話になった。特に、パルコミュージアム。
今年の春に「五〇音展」を開催したチームNASは、パルコミュージアムで開催していた大宮エリーの「思いを伝えるということ展」に行って、「あの展示方法をわたしたちもやりたい!」と感じたのがすべてのきっかけだ。
そんな思い出に浸ろうと、8月7日に訪れた。フロアを回り、各展示を見て、思わずこうツイートした。
建物や歴史を懐かしむ人、買い物やイベント目当ての人、友人に会いたい人、なんとなく来た人がいて、解体が決まった母校の文化祭みたいな雰囲気だった。寂しいけどめっちゃ楽しかった。
この場所のすごいところは、すべてのカルチャーとそれに関連する人たちを受け入れていることだと思う。ファッションも、演劇も、映画も、アートも、アニメも、文学も、フリーペーパーも、全部受け入れて優しく包んでくれる。
公園通りを歩いているときは「渋谷怖い。帰りたい」と思うのに、PARCOに入るとやけに落ち着くのは、その懐のでかさがあるからだ。たぶんだけど。
◯
今日、ONLY FREE PAPERのスタッフとして搬出を手伝った。(制作者としてもお世話になった)棚を運んで、少し、フロアを歩いた。
誰もいない、何もないPARCO。新鮮だったけど、不思議と寂しくはなかった。なんというか、みんなが卒業したあとの校舎みたいだったのだ。また新しいことがはじまる。そんな希望に満ちていた。
一通りフロアをまわったあとにスタッフ口から出ると、渋谷PARCOを卒業した気分になった。そして、「これから積極的に渋谷に来ることはなくなるんだろう」と思った。
かつて、彼は「渋谷に行けるようになった」と言ったけど、わたしは渋谷に行けるようになったんじゃなくて、渋谷PARCOに行けるようになっただけだ。その場所から、卒業してしまった。
帰り道、「わたしを受け入れてくれて、たくさんのきっかけと出会いをくれて、ありがとー。また新しくなったらよろしくね」という気持ちになった。
この感謝の気持ちをどう表したらいいかな、と悩んだけど、それはPARCOが教えてくれてた。
「ありがと。サンキュー。
しばらく、またね。」
彼氏の汚い部屋にゴミ箱を置いた話
基本的に彼氏について聞かれたときは「最近っすか?超仲良いっすね!!」「彼氏ですか?かっこいいですよ!?」「マジでラブラブなんで!」と食い気味にラブラブアピールをしているけど、「じゃあ彼氏の嫌いなとこある?」と聞かれたら絶対に「部屋が汚い!!」と答えてる。しかも食い気味に。
それで、五〇音展どうだったの?
電車の中でぼーっとしながらダウトのモテドポイント貯めてたら「日常が戻ってきた」と気づきました。紛れもない日常!!戻ってきた!ただいま!!おかえり!!
はい。
五〇音展という2日間だけの体験型展示をチームNASという3人組でやりました。
根津にあるHOTEL GRAPHY NEZUというホテルの畳ルームで、ひらがなをテーマに。
なんというか、じっくり貯めておいて、展示内容とともに振り返りたかったんですが、考えたことだけ先に記しておきます。わたしの感想と、なぜ五〇音展をやることになったかの経緯です。すぐに更新しようと思ったのに、なんだかんだ木曜日になってしまった…。
◯展示をやる、ということ
まず、なぜこの展示をやることになったか…それは、「なんでもいいからNASで空間展示がやりたかったから」。
ただ、「展示やります!来てください!」というのはやりたくなかった。自己満足で終わる展示はやる意味がないなと思ってたんです。
そこで見つけたのが、文芸フェスのオリジナルイベント募集。文芸フェスがなんだかもよくわかってなかったのですが、とりあえず、NASの2人に「これ、応募しない?」と聞いたら二つ返事で「しよう」「やろうか」と返ってきたのがすべてのはじまりです。
◯NASには、何ができる?
「やろう」。じゃあ、何を、どこでやるのか?
文芸フェスでは小説家や文学に関わる人がトークイベントをやったり、読書会をやったり…というイベントがほとんどで、最初は「大学の先生にお願いして読書会をやろうか」という話もでたのですが、「それってNASがやること?」
NASができることってなんだろう?何がしたいんだろう?何が得意なんだろう?と考えていくうちに、「いままでやってきた体験型展示を、文芸をテーマにやろう」という話になりました。
◯なにを「体験」させるか
3人とも働いてるし、土日も予定があるから3人で会えない。だから2人にずつ会って、打ち合わせて、それをまとめる、という流れで企画内容を決めていきました。
最初にせいじと会って、ターゲットと場所と目的を決めて、そのあとにあおきさんに会って、やりたいこと・できそうなことを絞りました。そこで残ったキーワードが「五〇音」。
文芸だとか、文学だとか、小説だとか、難しいことはわかんないけど、それらを因数分解して、楽しんでもらえたら、もっと文芸、文学に触れてもらえるんじゃないか?
それが、五〇音展のはじまりです。
◯まさかの採用で動揺
とにかく出せればいい!と思って、企画書を提出。すると、「オリジナルイベントで採用したいので面談に来て欲しいのですが」と連絡があり、「まじか」と動揺。
緊張しながら面談で「こういう展示がしたい」と話すと「楽しそうじゃないですか~!ぜひお願いします!」と言われてまたもや動揺。マジっすか!いいんすか!?
他のオリジナルイベントの内容を聞くと真面目なものばかり。「わたしたち、これ出ていいのか…」というのが率直な気持ちでした。
◯やるぜ!チームNAS!
そこからは週一くらいで会って企画内容の擦り合わせ。お互いいろんなものを作ってきて、見せ合って、「いいね!」というのをやっていました。
ただ、時間が足りない!!!!
話し合いも、制作もうまくできず、各コンテンツを各々に丸投げて、それぞれがやる!という形で進んでいったので、お互いどんなものをやっているかが逐一チェックできないもどかしさがありました。LINEとかで報告しあっていたけど、実物を見て話し合えないというもどかしさ…。
もちろん、持っていけるもの(触る文字だとかおみくじの木)はお互いに見て「これはこうしたほうがいいね」と言っていましたが、やっぱり全部が全部チェックできるわけじゃない。3人がお互いに信用して、前日準備を迎えたわけです。
◯22時から準備開始。焦らない不安
前日準備で全員が集合したのは22時。手伝いは2人(本当にありがとう)。合計5人で準備を開始します。
各々が作ってきたものを並べるだけなので準備は簡単。3時間後の深夜1時には大体の配置も済み、朝に少し手を加えれば人に見せられる程度になっていたのです。
◯「いい展示だ(でも、なんか違うぞ?)」
1日目の朝、残りの準備をして、11時に開始。知り合いがちらほらとやってきて、あっという間にお昼頃に。
この展示がいいのか悪いのか不安でしたが、知り合いたちは「すごいねー」と褒めてくれるので、「きっといいんだろうな」という気持ちがありました。
でも、夕方ころに自分で回ってみると、面白いんだけれども、まだまだ詰めの甘いところが多数あり、「この展示、まだまだ伸びしろあるぞ…」ともやもや。その伸びしろが何かわからず、NASの中でもうまくすりあわせができず、もやもやしながら帰宅。
家に帰ると(その日展示に来てくれた)姉が起きていたので、「展示、どうだった?」と聞くと、一つひとつ丁寧に感想を言ってくれました。これはこうしたほうがいい、あれはもっと全面に出したほうがいい、と。それをうけて、「あ、あのもやもやはそういうことか」と気付かされたのです。
◯配置を変えたら、ぐんと良い雰囲気に
その夜のうちに、2人に姉の感想を伝えて、こうしたほうがいいんでは?という提案をしました。翌朝、入り口付近に「触る文字」を置いて、靴を脱がなくても触れるようにし、ハマる人・ハマらない人が分かれる「文字ふくわらい」は入り口右に。わざわざわたしたちが解説しないと伝わらないというのは”失敗”ということだから、知り合いが来ても極力説明せずに、「こっちから回ってね」くらいで各々が楽しんでもらう形に。
そうしたら、NAS側が説明しなくてよい分、ワークショップやその他の展示の準備や管理に時間を割く事ができたし、来場者が自分の好きなように展示を楽しめるようになった。話し声も極力小さくして、知り合いが来てもきゃーきゃー言わないようにして、居心地のいい環境にした。
ビルエヴァンスが流れる空間で各々が展示を楽しむ様子を見ながら「これこれ!これを求めていたんだよ!」と感じました。
◯ありがとう!文芸フェス!
1日目の夕方に、文芸フェスの学生ボランティアの方が取材に来てくれて、「明日までなので、今日中に記事をアップできますか…?」と無茶振りを言うと、笑顔で応えてくれて、なんと、取材の1時間後に(!)facebookに記事をアップしてくれたのです!(NASは感激して「日本の未来は安泰だ…」と言いながら泣きました)
そうしたら、2日目、「文芸フェスのfacebookの記事でみた」という人がちらほら来てくれたのです。それがすごく嬉しかった。
「facebookで見た」と言ってわざわざ来てくれたからといって、面白くなかったらすぐ帰ってしまう。
でも、みんな、ちゃんと文字を触って、遊んで、考えて、占って、つくっていってくれた。それが、めっっちゃくちゃに嬉しくて、「この、全然知らない人が楽しんでくれるのが、NASの展示をやっていて一番嬉しい瞬間だなあ」と思いました。
◯「またやってよ」
そして、嬉しかったのが、「こういう展示、よくやってるんですか?」「2日じゃもったいないです。またやってください」と声をかけられたこと。もう、嬉しくて、どうしようかと思いました。嬉しすぎて、またできるように、全部のパネルをキレイにもって帰ってきちゃった。
なんというか、芸術祭のときは「終わったー!もうやらないんだろうなー大学生活楽しかったなー切ないなー!」という気持ちでいっぱいだったのに、今回は、「またできるんだよなーそしたらあそこは改善したいし、もう少しこうしたいなーこういうのいれたら楽しそうだなー」と思っている自分がいる。冷静に。それが、なんというか、嬉しい。まあ、またやるかどうかは、わかんないですけど。
◯なぜ「NAS」なのか
よく、「なんでNASなの?」と聞かれます。「なかはら、あおき、すずきの頭文字を取ってNAS」っていう話ではなくて、「なぜ、なかはら、あおき、すずきの3人なのか」という話です。
確かにこの3人は趣味も好きなものも仕事もバラバラで、共通の話題で盛り上がることが殆どありません。ある意味すごいことです。びっくりします。
それでもなぜこの3人なのか。
他の2人がどう思っているかは知りませんが、わたしは2人の感性が自分には絶対にないもので、それが絶対的に面白いものだと信頼できるから、だと思っています。
例えば、音に名前をつけたり、楽しいことを考えたりするのはあおきさんが一番上手。せいじくんは粋な文章を書いたり、センスのあるものをつくるのが一番上手。だから、わたしに足りない部分は2人に補ってもらいます。
3人それぞれ、やりたいと思うことも違います。ざっくりとジャンルわけをすると、わたしは「読む」、あおきさんは「触る」、せいじくんは「見る」。その3つが、1つになることで面白いものになる。
だから、展示の打ち合わせを3人でやっていると、「全然考えつかなかったわー」というアイデアが2人からどんどん出てきて、どんどん面白くなっていく。それが、すごく楽しいんです。だから、この3人なんだと思います。
◯なぜ根津にしたのか
展示場所を根津のホテルにしたのは、「畳がある場所でやりたかったから」という理由だけです。でも、下見に行ったときに、この場所に一目惚れして、こんな素敵なところで展示ができたら楽しいだろうな、と思ったの覚えてます。根津駅からわかりにくいけど、猫道を通って行くのも「根津らしい!」って感じがしません?
それに、HOTEL GRAPHY NEZUのスタッフの方々は本当に良い人ばかり。本当に、感謝してもしきれません。甘酒を出すことになったのも、スタッフの方からオリジナルメニューについてご提案いただいたものだし、準備も遅い時間まで許してくださったり、「面白い展示やってるよー」と言いながら常連さんを連れてきてくださったり、本当にいいホテルです。上野や根津付近に宿泊の際は是非!!
もう一点、このホテルでこの展示をできてよかったなあと思ったのが、スタッフ全員英語ベラベラだってこと。それは、外国の方が来たときに訳してくれて助かる!ってことじゃなくて、トリリンガルや外国人のスタッフが多いから、「なんで日本語って50音なんでしょうね」みたいに“世界からみた日本語”として見てもらえるのが嬉しかったんです。その視点がもらえるのも、嬉しかった。
◯最後に…
まあ、なんやかんやと長くなってしまいましたが、いやはや、楽しかったです。五〇音展。
こんなにたくさんの人が来てくれるとは思ってませんでした。文芸フェス、応募してよかった。
何より、多くのみなさんにお越しいただけて嬉しかったし、なおかつ、その人たちが文字を触って、感じて、書いて、聴いて、占って、作っていってくれたのが嬉しかった。
またやるかどうかは、わかりませんが、わたしが2人に「やろう」って言えば、2人が「いいよ」「やろうか」って言ってくれるんだろうなと勝手に思ってます。でも、そんなに頻繁にはできないし、何があるかわからないから、「またやりまーす!よろしくー!いえーい!」とは大声では言えないです。こっそり、またやりたいなーとは言っておきますが。
また、なにかやるときはどうか、どうかあたたかく見守りつつ、できれば実際に展示に足を運んで、楽しんでもらえれば嬉しいです。
2日間、ありがとうございました。
ちなみに、ありがとう、って言葉は「こんなにうれしいことは滅多にないことだ」→「滅多にないから、有ることが難しい」→「有り難し」→「ありがとう」という感じでできたんだそうです。
こんな風に嬉しいことは滅多にないよ。ありがたいよ。
本当に、ありがとうございました。
つまり、五〇音展ってなんなのさ?
「君のそういうところが好き」
よく恋人に「君のそういうところが好き!」と言うんだけど、恋愛だけじゃなくてすべての人間関係これに尽きるなと、たいして混んでもない中央線でいろんな人に体当たりされながら思った。
平成4年(1992年)生まれの私が生きてきたインターネットサービス総振り返り
「今年の振り返りをするよ!」とさまざまな人が言っている中で、「生きてきたインターネットサービス総振り返り」をするよ!kahoさん(@gr2kinari)が「今年中にブログで書け」と言うので、書くよ!2015年中に書けない気がする!わたしが眠るまで2015年だー!(結局書いてる途中で2016年になったけどー!)
○「あなたの髪の毛ありますか」ってなんですか
それは小学校高学年のとき。あまりにも友だちがいないため、先生に呼び出されて、「友だちになれそうな子はいる?」と言われて、号泣していたころ。切ない!
数少ない友人たちの家はインターネットが開通してた。なので、みんなで「あーなたーの髪の毛ありますかー」って歌って笑ってる。なんだそれと。
なんとか「学校へ行こう!」とか「伊東家の食卓」とか見て話についていけるようにしていたけど、ネットになるとわかんない。なんてったって開通してないから。いまと違って、ネットで流行ってることをテレビでやらないから。家に帰ったら教育テレビ見て、ご飯食べた後はずっと机の上でボンド固めて工作してたから。こちとら木工ボンドが友だちだったから。
数少ない友人に「その元ネタがわからないんだ」と伝えると、「そうなんだ!じゃあ見ようか!」みたいなことを言われて、友だちの家に行ってそのフラッシュを見た。全然面白さがわかんない。困った。どこが面白いんだろうか。父が髪の毛ネタに敏感だからハゲネタ笑えない。母が間違えて違う育毛剤買ってきただけで殴り合いの夫婦喧嘩になった記憶が蘇ってきて、どうしても笑えない。
それがインターネット原体験。
○遂にネット開通! HPを作るが、速攻閉鎖
我が家にネットが開通したのは中学二年生のとき。繋がった嬉しさで、みんなが言ってたフラッシュを見る日々。わたしが好きだったのはドラえもんが「ジョーク、イッツジョーク、ここはジョークアベニューです」って言うやつ。なんで好きだったのか全然わかんないけど、1日1回は見てた。あとはラーメンズのネタとか。
それで、何を思ったのかはじめてのHPを作った。今でも忘れない「one by one」という名のサイト。ライオンキングの曲名からとったやつ。掲示板しかない、なんのためにあるのかわかんないクソサイトだったけど、「お笑いが好きです!」と書いたら、「僕も好きなんです!誰が好きですか?ちなみに僕は最近武勇伝が好きですw」と書き込まれた。
オンエアバトルばっかり見てて、「エンタの神様ってどこが面白いの?」とか生意気言ってたタイプなので、「ちょっとエンタは見てないんでわかんないっすw」とか返してたら軽く荒れた。「お笑い好きとか言ってるのにエンタ見てないんすか?」みたいな感じで荒れた。ので、速攻閉鎖した。早かった。
そのあとは大人しくネットを見る日々。友人に薦められたのがテキストサイト。ショートニング、俺とパンダ、メガネバリヤー、クリスピー、虹色ドロップ嫌いです、あとたまに「やさぐれぱんだ」の山賊さんのサイトとか、吉田が巨大な物を作ってますよ、とか。あとは、フラッシュ系のサイトで、ザ・ガーベージコレクション、ホットウェルタンクとか見てた。
ホットウェルタンクのフラッシュについては、セリフを全部書き起こして、昼休みに実際に演じてた。楽しかったあの日々。あの日々が中学時代で一番楽しかった。
○そして、エロの世界へ
わたしがはじめてエロいサイトを見たのは、おそらく、ザ・ガーベージコレクションを見てたとき。ネタサイトにエロサイトのリンクが貼ってあった。で、間違えてクリックした。
「えろいサイトにつなぐと、架空請求が届くんだ!やばい!」と慌てるわたし。日本の教育の賜物ですよ。ほんと。わたし、教育テレビ見て育ってるからね。もうね、「おかあさんに怒られる!やばい!」とか思って言い訳を考えていたのに、架空請求が届かない。おかしい。そうだ、住所もメルアドも入力してないからくるわけない。そりゃそうだ。エロサイト見れるじゃん。ちょろい。ちょろいわ。エロサイト。
○「エロ体験談」テキストでエロを補完しはじめる
「エロサイトちょろいわー」と思っていても、やはりどこから責めたらいいかわからない。今じゃもうどこにでもエロが溢れているけど、あのときは全然なかった。通信速度も遅いから、1裸体みるのにもかなりの時間とドキドキが伴う。どうしようかなあと思って困っていたら、メル友の男の子に「エロ体験談」というテキストだけのサイトを教えてもらった。ナンパした女がエロかったとか、一緒に旅行にいった女の子とやっちゃったとか、そういうテキストが置いてあるサイト。
もう、エロければなんでもいいので、読みあさった。そこで一番印象に残っているのが、「人妻のア○○を開発してヤクザの性○○にした」っていうやつで、めちゃくちゃ長かったんだけど、全部読んだ。人妻が最初はいやがっていたのに、どんどん堕ちていく描写がうますぎて、「人妻ー!!!!」ってなりながら読んだ。そして、中学3年生にして、ア○○の開発方法を知ったわたしは「つらそう…」と思ったけど、ヤクザにオラオラぁ!って言われながら開発されたらそれはそれd(強制終了)
○「わたしの萌えはわたしが書く!」夢小説サイトをはじめる
わたしのインターネットはエロだけじゃない。夢小説もある。
夢小説っていうのは、名前を入れるとそれが小説内に出てきて「自分と彼が恋愛してるみたい!キャッ!」みたいな小説のこと。当時、お笑いが好きすぎて、マンスリーよしもとを毎月買ってて、お笑い芸人にめちゃくちゃ詳しかった。
で、夢小説で芸人と恋ばっかりしてた。許嫁であるチュート・徳井さんと結婚したのに、執事の麒麟・川島との子どもができてしまったときもあった。身体が弱かったので、川島さんの子どもを産んだあと死んだ。わたしは死んだ。
でも芸人夢よりも相手の名前も自由に入力できる「相手自由夢小説」のが好きだと気付いた。妄想が趣味だったから。好きな人の名前を入れて読めるほうが楽しいじゃん!と思って探すけど、どうしても読みたいやつがない。
それを素材サイトを運営してた友人に言うと「サイトやろうか!」という話になって、サイトをはじめることになった。
そのサイト、まだ探せば出てくるからサイト名は書けないんだけど、結構まめに更新してて、リクエストも結構来てた。この前久々に見に行ったら「1万アクセス突破!ありがとうございます!」って書いてあって引いた。
企画とかもちゃんとやったり、リクエストにも応えたりして、楽しく運営してたんだけど、友人と仲違いして、更新しなくなって、フェードアウト。あと、親に友だちに送ってた夢小説の原稿が見つかって「ダメでしょ!彼氏とのノロケを友だちに送っちゃ!」と怒られたのもあって、書かなくなった。ノロケなわけねーだろが!!!夢だよこれは!!!!
○再びエロサイトの話。「体験談はもういい。エログを読ませろ」
夢小説を辞めたあとのわたしはもう、エロサイトを探すだけのロボット。
夢小説サイトをランキング登録してたから、そのランキングからいろんなリンクに飛んでた。夢小説でもエロいのがあるからエロい夢小説読んでたんだけど、別に芸人とエロいことはしたくない。
そこでハマったのが、たまたまランキングで見つけたエログ。ブログじゃなくて、エログ。エロいこと書いてあるブログ。
「彼氏がいるのに後輩クンと外でしちゃった…///」とか、「学校のトイレでひとりで…///」みたいなのとか読んでて、「はっはーん」って思ってた。やっぱりリアルに女性が書いてるっていう設定が体験談のテキストよりも萌えるし、ストーリー性もあって面白い。「あーこの前後輩としたの彼氏にバレなかったんだーよかったねー」とかも考えるのも面白い。
○友だちがいたので、チャットが楽しい期
中学で一番友だちがいたときは、チャットにハマってた。もっぱら「もなちゃと」使ってた(今検索したらまだあって懐かしさで死にそう)。 「もなちゃとに8時な!」とか言ってみんなでくだらないこと話して爆笑してた。たまに一人で知らないところに出没して「こん」「こん」「いくつ?」「15」「え、若い」みたいなことを知らない人と会話してた。今じゃ怖くてできない…。
○遂に!エロ動画を見始める!
中学でも卒業が近づくにつれて友だちがいなくなりはじめた。ギリギリ話してくれたのが男子だけだったので、もっぱらエロい話をしてた。で、「一本道」を教えてもらった。おそらく、全ての男子が通った道だと思う。一本道。でも、あんまりハマらなくて、自力でエロ動画サイトを見つけた。
そのサイト、簡単に言うと、AVの通販サイトなんだけど、3分くらいのサンプル動画が各AVについてたので、それを見まくってた。
あとは、ひとりだけエロいことが話せる女友だちがいたので、「どういうサイト見てる?」と聞いたら、「エログちゃんねるかなあ」と言われて、「またエログ?」とか思いつつ見たけど、ここは動画が見れる素晴らしいサイトだったので、今でも見てる。持つべきものはエロいことが話せる女友だちだなと思った。
○遂にSNSがはじまる〜mixi時代
高校3年くらいでmixiをはじめた。当時付き合っていた人に「mixiやろうよ!」と言われて、はじめてみた。でも、やる気がないので、マイミク、3人。何も呟かない。何も発しない。アカウントだけがある状態。
高校卒業くらいで、「卒業だねー離ればなれさびしー!mixiやってるー?」みたいな感じで、急にマイミクを増やし始めた。ぐわーっと。コミュニティにも入りはじめて、300コミュニティくらい入ってた。全然交流してなかったけど。
この辺で「同じ大学ですね〜!よろしくお願いします^^」みたいな交流もあった。わたしはあんまりそういう交流しなかったけど、入学式に行ってみたらmixiで出会った集団みたいなのが出来てて「うっわあ」と言った。怖い。怖いよネット社会。
大学に入ってから、mixi日記を書くようになった。芸術学部の文芸学科というところに入っちゃったもんだから、「わたしはちょっと面白い人なんですよ〜!」アピールを高校の人たちにしたくて、「鳥について」とか「リュックについて」とかおもしろおかしく書いた。高校のかわいい友人たちが「おもしろーい!」「やっぱ才能あるわーw」とか言ってくれるのがサイコーに嬉しくて、めっちゃ書いた。女子校だったからみんな優しくて可愛い。優しくて可愛いあの子が「おもしろーい!」って言ってくれるのが嬉しくて書いた。あのときの文章が一番力入ってると思う。ほんと、優しくて可愛い女の子のためならなんでもできると思う。
○mixiからskype、そしてTwitterへ
大学1年生のときに家の引っ越しがあった。今まで姉と同じ部屋だったから、パソコンをしているときは常に姉がそばにいたんだけど、引っ越して、念願の1人部屋!とにかくもう、skypeをしまくった。上京して一人暮らしをしている友人と、朝方までくだらないことを語り続けた。
mixiもたまに更新してたんだけど、だんだん人がいなくなっている感じがして、「あれれ?」と思ったらみんなTwitterに意向してた。わたしもはじめた。最初にフォローしたのは3人くらい。それが3ヶ月くらい続いた。ログインするたびに「もっとフォローしましょう!」って言われてキレてた。
最初はパソコンでしかログインしてなかったんだけど、東日本大震災があって、「Twitterがあればもう少し情報早く入手できたのでは?」と思って、ちゃんとはじめることにした。
○jugem、Facebook、WIX、Flavors.me、ask.fm…とにかく全部やる期
フリーペーパーのサークルをやってたこともあって、Twitterは結構呟くようになった。で、Facebookもなんかよくわかんないけど、はじめた。でも全然使ってないな…。
フリーペーパーへの意識が高くなってきて、いろいろ書きたいこともあって、jugemでブログをはじめた。jugemはそこそこ使ってたけど、スマホ表示がよろしくないので、はてなブログに引っ越した。
あとは、大学3年生くらいになって、友人がFlavors.meっていう複数のアカウントをひとつにまとめられるサイトをやってて、わたしも真似してつくった。それは今でもやってる。4年生になって、「就活せねば。そのためにはポートフォリオや!」と思ってWIXでwebポートフォリオ作ったけど、就活が終わったあと速攻消した。
あと後輩とか友人たちがask.fmやってて、質問するのが好きだからはじめてみたけど、「ブスだけど自己顕示欲強いって生きててつらくないっすかw」みたいな質問ばっかり来て、「おいおいおいおい〜〜〜!どういうことだ〜〜〜!??」と思って、フェードアウト。
○じゃあ今なに使ってるのさ?
最近はもっぱらTwitterとTumblr。Tumblrはとにかくもう楽しい。gif画像が好きなので、それが淡々と流れてくるダッシュボードは素晴らしい。Twitterと違ってうるさくないし、批判があんまりない。Twitterはなんかいうとすぐどこかから「これってどうなのw」とか言われるけど、Tumblrは「微妙だなー」ってやつはそのまま放置されるだけ。放っておいてもらえるのがありがたい。だから自己満足の日記書いてる。
あと書き忘れてたけど、alfooっていうサービスがあって、それはかれこれ10年くらい使ってる。でも別に公開してないし、自分用のメモだし、面白い発展もないので書かない。最近有料になったけど。ちゃんとお金払って使ってる。alfoo使いやすくて良い。
あとはLINE?LINEは別に思い入れないな…。
○結論:テキストが好き!ネットよりは紙が好き!
結局、シンプルに使えて、テキストをいくら書いてもいい場所が好きなんだろうなって思う。あとネトストが趣味だから、TwitterとかFacebookはその点ではすごく楽しいなー。
ネットサービスに強い友人はいろいろ知ってるけど、わたしは全然知らないし、アプリとかも必要最低限しか入ってない。こういうの情弱みたいにいうけど、もうめんどくさい。ネットで探して、取捨選択するのが。SNSで人と繋がるのが。
「これからネットサービスどうなっていくのかな!」とかいうワクワクはもうすでに消え去っていて、むしろわたしは紙媒体の世界の人間なので、「ネットつまんないって言って、みんな紙に戻って来ないかなー」と思ってる。
エロサイトも、今じゃ溢れすぎてて前みたいに「良いサイトみつけたー!!!」って感動することもなくなったし。わたしはネットよりフリーペーパーのほうが「これサイコーだー!」をたくさん見つけられるから、フリーペーパーの世界がネットより好きなんだけどね。
だからそろそろネット離れみたいなのが起きて、紙媒体か、あるいは紙でもネットでもない新しいコンテンツみたいなのが出てくる気がする…ってネット社会に全然詳しくないわたしが2016年最初の予想として掲げておきますよ!
以上です!
「納豆定食」
「食べたいものを食べたいときに食べれる幸せ」っていうのが”食欲”という欲を超えた先にあるよな、としみじみ思う。
とにかくもう昨日から納豆を食べたくて仕方なくて、散歩をしながらふらふらと納豆定食をいただけそうなお店を探したんだけど、ない。みんなアボカドなんとかプレートとかバジルのチキングリル定食ばかりのおしゃカフェばっかりで、はっはーん気取っていやがるぜ!と思ったら、あった。ありました。納豆定食。ブックカフェに。え?ブックカフェで納豆定食?どうなのそれ。でも、納豆定食が500円。コスパ良い。迷わず入る。
両側の壁が本棚になっていて、本がばーっと並んでいる。おしゃカフェって感じのお店で、コーヒーを飲みながら本を読んでる人もいる。こんなところで納豆定食を食べていいのか。ひとりでおののいていると、店員のお姉さんに「いらっしゃいませーお好きなところにどうぞー」と笑顔で声をかけられて、奥にある2人がけのテーブル席に座る。お冷やとおしぼりを置かれた瞬間「納豆定食ください」と間髪入れずに言ってしまう。しかも、ちょっと食い気味に。
わたしが間髪入れずに言ったからなのかわかんないけど、すごい早さで納豆定食がでてきた。ごはんと味噌汁、あとは生卵、海苔、梅干し、漬け物、そして納豆。旅館の朝食みたいだ…。
手始めに味噌汁をいただく。具がたっぷり。これでもかってくらい具が溢れている。じゃがいも、にんじん、だいこん、こんにゃく、ごぼう、さといも、ぶたにく、あぶらあげ、ねぎ。ずずっ、とすすると、野菜のうまみと味噌汁のあたたかさが広がって、身体の芯がほぐれていくのを感じる。うわーこの味噌汁を作ってくれる女の子と結婚したい…。
ごはんも一口。味噌汁との相性もいいけど、お米そのものがすごくおいしい…これは全部に合うぞ!と確信したので、漬け物を一ついただく。わたし漬け物って苦手だからあんまり食べないけど、この漬け物、うまくない?米との相性も抜群なんだが?何この定食?
メインの納豆をいただこうと思い、勢いよくかき混ぜる。めっちゃおしゃれなカフェで、ひたすら納豆をかき混ぜる女。それがわたし。とりあえず納豆だけで一口いただく。「これだー!」と心の中のわたしが走り回っている。「これですよー!これこれー!求めてた味ー!」
ごはんの上に納豆を載せて、それらを海苔でくるむように持ち上げて、即席の納豆巻きをつくる。うまく出来てひとりで「ふふふ」とか言いつつほおばると、海苔の香ばしさと米のあたたかさと納豆の味がいい感じに混ざり合って「日本人で良かった…」と思いながら「んふふふ」って声でた。マジで。納豆をそのままでいただいたり、納豆巻きにしたり、漬け物、味噌汁でクッションを挟んだりして、和定食のシンフォニーを楽しむ。
で、最後に生卵。ごはんも残り少ないし、どうしようかなーと思っていると、店員さんから「ごはんおかわりしますか?」と天使の声!「お願いします」とこちらもまた間髪入れずに言うと、さっきは苦笑してたお姉さんに今度はちょっと微笑まれる。おねえさんかわいい。
生卵を割って、かかかっ、とかき混ぜる。これ新鮮な卵や…素材にこだわってる…わいはな…たまごをかき混ぜるだけで新鮮度がわかるんや…とテンションあがりすぎてよくわかんないこと考えていると、ほっかほかのご飯が到着。
ほかほかごはんにクレーターをあけて、一気にがーっと流し込み、しょうゆをかけ、喉の奥にがーーっと勢いよく流し込む。しあわせ~!と叫び出しそうなのを抑えて、ごはんの上に残った納豆をがーっといれ、それをまたもや、がーっと食べる。ねばねばとなめらかさとあたたかさが一気に押し寄せてきて、「しあわせ~!」心の中がほくほくしている。納豆食べられるだけでもハッピーだったのに、なんだこの嬉しいコラボ!という感じ。この定食作ってくれる人と結婚したい…。ブックカフェで女が飯を食っているとは考えられないくらいの勢いでがーっと納豆卵ごはんを流し込み、味噌汁でフィニッシュ。いやー味噌汁ではじまり、味噌汁で終わる壮大な物語ですわ。これは。
納豆定食を食べてしまったら急に落ち着いてしまって、さっきまで勢いよくごはん食べてたから、本とか読む感じじゃないなー。でもコーヒーも飲んでみたいなー。今度でいいかなー。と思いながらお会計する。なぜか席を立ったときに厨房からシェフ?の男性に微笑まれる。思わず、レジでお姉さんに「おいしかったです」というと、「シェフが、“めっちゃ幸せそうな顔して食べてる”って感激してたんですよ。ありがとうございます」と笑いながら言う。わたしも嬉しくなって「そんなこと言ってもらえたら、心もお腹いっぱいです」とか言ってしまう。絶対また行く。
ーーーーーーーー
「タダしいyouに見える」のパーソナリティであるマスダさんからある日、メッセージが届いた。
「お遊びで付き合って欲しいねんけど、納豆定食を食べた設定で文章書いてみてくれへん?HPの空想のカフェメニューにレビューを載せる企画したいねん」
「いつまでに書けばいいですか?」
「年内でやろ!」
もうそろそろ今年も終わりますが、マスダさん、ようやく書けました。よろしくお願いします。